「ブラジル人天国」へ降り立つ!
群馬県・大泉町における「多文化共生」という安全保障の崩壊!
平成23年7月17日
写真:スーパーに来ていた出稼ぎではない定住のブラジル人の大家族
これだけの大人数が一度に来日したとは思えず、来日後に出産したものと思われる。不法滞在者の間、またはブラジル人とその他の外国人が結婚して子供を生むなど、複雑なケースも少なくなく、交付金はじめ膨大な公金が外国人に支出されている!
私たち『NPO外国人犯罪追放運動』はかねがね在日ブラジル人の増加・増長に胸を痛め、相次ぐ南米人犯罪のニュースを聞く度に何らかのアクションを起こさねばという衝動に駆られていました。当ブログのコメント欄にも何度となくブラジル人住民との間で頻発する近隣トラブルの情報と日本人の悲痛な叫びが寄せられました。
特にブラジル人やペルー人の多い中部・東海地方においては在日南米人と日本人の軋轢は抜き差しならぬ状況で、犯罪人引渡し条約も締結されていないため、母国へ逃げ帰った強盗・殺人などの凶悪犯が引き渡されたケースは一度としてなく、日本側で再三要求してようやっと「代理処罰」が実行されたくらいです。このままでは、いや、現段階で既に日伯間(日本−ブラジル間)には大きな不信感も増幅されているのではないかと思う。
W杯ブラジル大会を前にメディアでは表層的な友好と共生ばかりが報じられていますが、在日ブラジル人との関係、即ち日本社会の在り方が問われています。 今回は東京から最も近く、関東圏で最もブラジル人が多いとされる群馬県邑楽郡(おうらぐん)の「大泉町」で実状を見てきました。
最初に立ち寄ったブラジル雑貨店
店に入るといきなり目につくブラジル国旗
商品棚に陳列された食材や日用品
恐るべし共生社会!?
道路沿いの看板から店内の商品表示に至るまで英語、ポルトガル語、スペイン語で表記されているものの「日本語併記」はまるでない!
よく日本の行政は「多文化共生」と言っては日本語案内の下に英語やハングル、支那語、南米人の多い地域ではポルトガル語やスペイン語を併記しているが、その逆に在日ブラジル人の側には日本人に対する配慮など一切ない!
支那人・朝鮮人も同様だが、これが彼らブラジル人の言う共生の在り方で、日本人との共生など眼中になく、実に「一方向的な共生」であるかがうかがえよう。
コメント欄に寄せられた群馬県及び大泉町の実状
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/50599361.html
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51017811.html
周辺の町並
再びマーケット
ブラジルの書籍・雑誌
ブラジル料理のレストランで小休止
ブラジルの代表的な料理フェイジョアーダ
元々は黒人ら奴隷の料理であったが、それがいつの間にかブラジル料理の定番に。黒豆とベーコンなどを煮込んでつくられている。
ブラジル人の客
ショッピングモールの壁にブラジルに渡った日本人移民の歴史
かつて何ヵ月もかけて多くの日本人が新天地を求めて南米ほか北米、ハワイ、東南アジア、朝鮮半島、支那大陸などへ移り住んだ。 ブラジルでは血の滲むような思いで日本人移民が現在の日系社会を形成した。 しかし、日本人移民の受け入れは受入国が労働力を欲したエゴであり、現在の日本がそれを「恩恵」などと感じる必要はない。 翻って現在は日本人がかつてのように世界各国へ進出する状況にはなく、支那人、朝鮮人そしてブラジル人やフィリピン人など逆に日本へ押し寄せる外国人にどう対処するかが問われている。 かつての日本人の世界各地への進出は「攘夷体制」を敷いた徳川三百年に蓄積されたエネルギーの放出であり、その余力が途絶えた現在、日本人のみでどう国家社会を形作るかにエネルギーを傾ける以外にない。
公園にいたブラジル人の親子連れ
子供たちはブラジル人ならブラジル人同士、日本人なら日本人同士で遊ぶなど学校内でも共生どころか乖離している現状が小中学校でも目立つ。 また日本人の児童とブラジル人の児童がつるむケースでも、地元の方々によると「どうしてもブラジル人のほうが体格も大きく喧嘩も強いので、学校でも『番長』的なポジションを占めることが多い」と言う。
ブラジル料理店の建物が緑色と黄色でブラジルをイメージしたカラーになっているのは当然としても、街灯までが緑色と黄色で彩られている。 まるで政治・行政にまで影響を及ぼすどこかの宗教団体が青色と黄色、赤色の三色カラーで影響力を誇示しているかのようだ。
リサーチを終えて…
ブラジル人の多い大泉町で行動して思ったことは、ご他聞に漏れず、この町でも他と同じように「人権宣言」なる標語が町中に掲げられていたことだ。 埼玉県内の同志を募って群馬県・大泉町入りしたものだが、車での移動中、町中で目に付いたのはいかにも「同和」と思しきつくりの家々が並んでいたことである。地元の方に訊くと「今ではかなり分散している」と言うが、以前は「こうした住宅にブラジル人が密集して住んでいた」らしい。同和地区指定はなくとも、ブラジル人が入り込む隙があったのだろう。
今でこそ「小さな問題はあっても大きなトラブルや衝突はない」としているが、当初の頃は「所構わずバーベキューのようなことをやって、夜通し音楽を鳴らしっ放しで騒ぐなどトラブルが頻発した」と言う。 大泉町の人々は話す。 「前の前の町長が積極的な南米人労働者の招致を行なったんだけど、その後、住民も『こりゃダメだ』と気付いたんじゃないかな。前の町長で受け入れには慎重になった」
以前にはブラジル人少年が日本人少年を殺害するなど暴走族同士の凶悪事件も起きたところだが、現在のところ目に付いて治安の悪化というのはあまり感じられない。 この辺りについて大泉町の人は「ブラジル人の側も警察沙汰にならない範囲でなら多少のことは許容されると分かっているんだろうね」と話すが、それで日本人の側が反発や不快感を一切表明しないから知らず知らずのうちにブラジル化される共生が加速度的に進んでなおのこと危険である。
新たな移住のみならず、日本人の少子化が進む一方でブラジル人の子供ばかりが増加し、いつの間にか日本でありながらブラジルの文化・風習しか通用しない地域に既になっている。 日本人の側が押し黙ったままだからますますそうした傾向は強まっていく。結果、日本人の住処を追い立てられ奪われるという「安全保障」が脅かされている問題なのだ。
文責:サイト運営一課 平成23年9月29日更新