NPO法人 外国人犯罪追放運動 本部

☆ご報告! IN群馬県伊勢崎市・羽黒団地

我ら『NPO外国人犯罪追放運動』が潜入!!

ベトコン(ベトナム人偽装難民)の巣窟となったマンションの実状!

平成24年5月3日

 






GWの真っ最中となる平成24年5月3日、激しい雨の中、私ども『NPO外国人犯罪追放運動』は外部アドバイザーを含む「排外グループ」と共に群馬県伊勢崎市にある『羽黒団地』を訪れた。

マンション敷地内で勝手にバスケットやバーベキュー大会、上階からゴミや汚物を平気で投げ捨て…。
インターネットで「羽黒団地」「ベトナム人」と検索すれば、同団地にて在日ベトナム人による様々な問題が引き起こされている記事がヒットする。

しかし、それらはいずれも「在日外国人の人権」や「共生社会の在り方」を問うたもので、問題を引き起こす側の外国人に同情的な観点から描かれていることが多い。その逆に共生は誤りだとする観点から捉えられた記事というのは皆無だ。

今から10年くらい前ならまだテレビのニュースでも日本各地における難民問題や外国人との共生の難しさを説くニュース番組が放送されていた。「だからこそ日本人の側がより理解を持つように」とする趣旨だが、最近ではそうしたニュースやドキュメンタリー番組さえ見られなくなったのではないか。

羽黒団地でベトナム人難民の問題が盛んに取り沙汰されていたのは約2〜3年前。それが現在ではどうなっているのかを当法人が追ったものだ。

車のカーナビで付近を設定すると、「車上荒らしが多発している付近ですので注意してください」という音声が流れる。それほどベトナム人による犯罪も多発していることで知られ地域だったのか…?

最近、首都圏では侵出してきた中国人(支那人)問題を追及する動きが保守運動を中心に広がりを見せているが、ベトナム戦争からの避難を口実に日本上陸を果たしたベトナム人難民は30年以上も前から各地に住み着いて浸透し始めていたのである。ベトナム戦争の終結から40年近くが経とうかというのに、未だ子々孫々にわたって日本に居座る彼らは紛れもなく偽装政治難民であり、傍若無人に日本のルールとマナーを蹂躙する態度からベトコン(注:正確にはゲリラ組織『南ベトナム解放戦線』の略称)と形容出来よう。 。



☆画像ご紹介!


最初、訪れた一角は古びた団地だったが、集合ポストにはベトナム人らしき氏名は見当たらなかった。階段の踊り場に張られた注意書きや呼びかけは全て日本語。中には花の絵や画像をふんだんに貼り付けた「ぶっ飛んだ」住人もいたが、周囲を散策しても聞こえてくる声も日本語。ワケアリかも知れないが、日本人が暮らしているのではないかと思われる。















そこで付近を通行した地元住民に話を聴いてみた。
古くからこの界隈に住む老人夫婦だったが、 「この辺りはベトナム人は多いよ。今は更地になっているけどね、ほら、この空き地は一帯全部、マンションが建っていたところだよ」



見ると地面は舗装されていないもののロープが張られた空き地がいくつもあった。中には臨時の駐車場として利用されている所もある。大規模な集合団地と聞いていたが、その割には実際に見て小規模だと思った。何棟かは既に取り壊された後だったようである。





「前はこの辺りのマンションにびっしりベトナム人が住み着いていた。今は取り壊しが進んで、中に住んでた連中も分散してあちこちに引っ越したみたいだね」

ベトナム人とのトラブルについて訊くと、苦渋したような表情をしながら「まぁ色んなこともあったみたいだけどね…。こういうことを言っちゃあ何だけど、お互い(日本人とベトナム人)の行き違いもあって起きることでしょう」とは今の一般的な日本人の回答と言えよう。

老夫婦の妻が話す。「良い人も悪い人もいると思うんだよね。私たちだって『おはようさん』とか『こんにちは』と挨拶すれば、向こうは言葉が分からないながらも『うんうん』と頷いたりしてるもんだよ。中には悪い人もいたりする…こんなことは言っちゃあいけないけどね…」

ここが日本である以上、日本人として言って当然のことも言ってはいけないこと…が社会通念となってしまっている。これが現在の日本全国に共通する姿だが、主張すべきである。ここは日本人、いや、あなたがた「群馬県人のシマ(縄張り)だ」と!

「そっちのほうも見てご覧よ。今だって日本人とベトナム人が交互くらいに住んでいるから。だいたい半々だよ」



言われたとおり、次に少し離れた場所にあった一角はまだ出来て新しいと思われ、高級とまではいかないまでも少々豪華なつくりのマンションだった。
集合ポストを見てみると、前出の老人夫婦が述べたとおり、住人の半数がベトナム人もしくは他の外国人。外国人名がズラリと並んでいた。

 

注意書きには日本語の下にベトナム語らしき文章が併記されていた。

 






この棟の空き部屋は以前にベトナム人住民が暮らしていたらしく、障子はズタボロに破られ引き裂かれていた。
同じ空き部屋でも日本人が暮らしていたところはまったく障子が破られていない。




 

次にゴミ集積所へ行くと、外国人住民の多い団地で必ず見られるお約束、「ゴミ出しルール」の注意書きにおける外国語併記。



しかも、これまたお約束でいつも積み上げられていると思しきゴミの山。





駐車場の利用に関しても外国語の併記が。




☆異物・汚物を寄せ付ける元凶は「同和地区」にあり!?


同じ関東圏で外国人の密集団地と言えば、住民の約3〜4割が中国人と言われる埼玉・川口市の『芝園団地』があまりに有名である。

羽黒団地の場合はそれが古くからのベトナム難民であるわけだが、何年何十年と日本に住んでいながら「おはよう」や「こんにちは」の挨拶程度の言葉も解せないようでは、日本の文化を尊重しようという気がないも同然である。日本に同化してもらっても困るが、同化しようという気が微塵もない。

しかも、挨拶などは日常会話の中でもごく基本的なものなのに、それさえもまともに交わそうとしないとはベトナム難民がいかに日本の習慣に従わないかを物語っていよう。言葉・挨拶でさえこのザマなのだからルールなど尚更守る気もない。自らのコミュニティに籠もって日本社会、いや群馬県民のコミュニティを排他的に扱うことの意思表示と受け取れる。

前出のマンションには日本人とベトナム人が交互くらいに住んでいて、一般的には共生…と思われるかも知れないが、その一方で古びた棟には日本人が暮らしている。ここから言えることは低所得の日本人を古びた棟に押しやり、ベトナム人が新しい棟へ優先的に入居しているという事実だろう。

「演出された共生社会」の一方で日本人、いや、群馬県人に対する差別そのものだ。

羽黒にせよ芝園にせよ、どうしてこうも外国人の密集地帯となるのか。羽黒団地のある伊勢崎市内をぐるっと見て回ったところ、川一本を越えたところに「人権宣言」を謳う『隣保会館』が見つかった。この隣保会館は差別や貧困など、同和問題への適切な助言を行なう専門家が常駐する社会福祉施設である。大阪では「解放会館」などと呼ばれたりもするが、この施設が存在するということは「同和地区」か、その周辺だということをうかがわせる。







東京・池袋でも「チャイナタウン計画」なるものが進行しているが、この池袋西口一帯も数十年前まではバラック小屋が林立していた同和地区だ。

何故、同和地区に外国人が密集するのか。これは全国のどこにでも通ずる話だと思うが、自身の住む周辺に「葬儀場」や「火葬場」またはゴミ最終処分場がつくられるとなれば、地域住民は挙って反対することだろう? 現代日本人もこういうところだけは対応が早い。たちまち「建設反対」のステッカーが家々に貼られて反対運動が盛んになる。

ところが、それを受け入れてきた地区があるのだ。それが同和地区だったりする。元より葬儀会社にせよ、ゴミ収集会社にせよ、これらは同和系であることが多い。それを象徴するかのように葬儀会社などは「川向こう」と言われる川沿いに建てられていることが多い。川向こうは同和層を意味する。




写真:東京・荒川沿いにある葬儀会社

 


普通の地域では到底受け入れ難いものでも、率先的にと言うか、「異物」「汚物」を引き受けることで利権確保を目論んできた地域・勢力が存在する。昔、同和地区に不法入国の朝鮮人が続々住み着いたように。

従って同和問題と在日外国人問題は一体である。同じく群馬県では昔、同和層が住んでいたと思しき家に来日ブラジル人が住み着いたという。羽黒団地もベトナム難民が同様のプロセスを踏んできたものと思われる。

中国人が密集する芝園団地とその周辺も中国残留孤児をバックアップしてきた『創価学会』が多い。加えて同団地が所在する「蕨(わらび)」は極左過激派の巣窟でもある。この双方が存在するということは、同和が存在することと同義だ。外国人問題を論じるに外国人だけを見ていては実像は見えてこない。必ず背後にそれを受け入れてきた土壌が存在する。

東京と地方とで外国人の増長ぶりについても落差があることを述べておこう。池袋も然り、東京でも各地で外国人の問題が引き起こされているが、芝園団地や羽黒団地のような地方に比べればそこまで程度は悪くない。これは世間の関心や情報量の違いだが、もし両団地が地方ではなく、東京都のど真ん中に建てられていたとしたら、いくら外国人が多くてもあそこまで酷くなることはなかったかも知れない。衆目もあって、少なくとも状況は異なっていただろう。

その点、地方の場合はそこで何が起きていようと、それが中央で大きな話題となることはない。東京都民にとっては関係のない話だからである。だからこそ逆に言えば、地方こそ首都では考えられない大鉈を振るうことも可能なのである。

実際、群馬県・羽黒団地ではベトナム人が密集した建物の取り壊しが進み、ベトナム人住民を他の地域へ分散して住まわせることを進めた。これは度重なる外国人問題に、行政が極めて積極的な姿勢で関わったことをうかがわせる。そして対応・対策を実行した。ここが東京都も隣接する埼玉県も行政が及び腰になっている点である。

東京への帰途に着いた車中、カーラジオではFM放送の『J−WAVE』から東京都が「65年にわたって日本国憲法を遵守してきた」とか10円玉硬貨に例えてウラもオモテも同じ「皆、平等です」という旨の人権宣言がコマーシャルとして何度も流れた。
結局、都知事の石原慎太郎が尖閣の買い取りを実行しようが不逞中国人の追放を宣言しようが、これが日本国(近代体制)の一部に過ぎない東京都のスタンスなのである。

同じ日本人だから…とか、みな同じ…だから和を以って団結…という言葉ほど怪しいものはない。

東京の問題は東京の問題、埼玉の問題は埼玉の問題、群馬の問題は群馬の問題。互いに我関せずが実情なのだから、群馬県がそうしたように治安や外国人政策といった県民生活の防衛に関わる一切を地方が「一国家」として独自で担うべき状況に来ていると思う。

各地方で同和やら在日、カルト教団、極左といった特定勢力の排除・一掃は当然のこととして。




文責:サイト運営一課     平成24年5月5日更新



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