ご報告 【栃木県宇都宮】
支那人(中国人)から刑事告訴された鹿沼警察署警察官初公判の刑事裁判支援行動
平成22年10月21日
平成22年10月21日、私ども『外人犯罪追放運動連盟』(基幹団体:NPO外国人犯罪追放運動、同支部代行組織・神奈川外人犯罪追放運動、埼玉外人犯罪追放運動など)は栃木県宇都宮市に遠征し、拳銃使用によって凶悪犯罪を未然に防ぐという正当な職務遂行に及びながら「特別公務員暴行陵虐致死罪」に問われた栃木県警巡査を支援すべく街頭行動の展開と裁判の傍聴を行なった。
JR宇都宮駅前での街頭演説で警察官の発砲支持を訴える NPO外追の小野寺秀一・理事長代行(広報本部長兼任)
事の発端は4年前の平成18年6月23日、栃木県上都賀群西方町(かみつがぐん・にしかたまち)において当時「真名子(まなこ)駐在所」勤務であった平田学(ひらた・まなぶ)巡査が付近をうろつく不審な支那人の男2人に職務質問したところ、うち1人から激しい抵抗を受け、拳銃まで奪われそうになった挙げ句、民家の庭で凶器(石灯籠)を振りかざして襲いかかられたため再三にわたる警告の末に拳銃一発を発射。
この発砲を受けて死亡した支那人犯罪者の遺族が県を相手取って5千万円の民事賠償請求訴訟を起こし、刑事においては行き過ぎた暴力であるとして同巡査を告発していたものだ。
刑事における裁判は公判前整理手続きを経て、この日が初公判であり、我々は午前8時からJR宇都宮駅前にて街頭演説活動とビラ配布を敢行。
栃木県はじめ他県のNPO外追メンバーも集結した駅前
その後、宇都宮駅前での街頭演説活動を終えて一行は宇都宮地裁へと向かった
同50分から地裁にて配布された整理券を受け取るために傍聴希望者の列に並ぶ。傍聴券を求めて並んだ人々は県やマスコミ関係者をあわせて100人近く。対して傍聴券の配布は50枚であったことから抽選での当選は約2分の1の確率であった。しかし、実際に審理が始まると法廷の傍聴席には空席も目立ち、大人数を動員したマスコミは傍聴券を当て過ぎたと考えられよう。
普段は宇都宮地裁で行なわれた同事件の裁判に無関心なマスコミもこういう時だけチカラを入れて訪れるのだから、実に現金なものだ。いかにマスコミ報道が警察官の職務執行を軽視し、犯罪者特に外国人犯罪者に肩入れした偏向報道に徹しているかが伺い知れよう。
なお、この刑事裁判は一度は刑事告発を受け付けた宇都宮地検で不起訴とされながらも、支那人凶悪犯の遺族が宇都宮地裁に申し立てた「付審判請求」が認められたもので、そのため通常の裁判とは異なり、「検察官役」に裁判所が指定した弁護士3名が就くことに。
また、この裁判の検察側には鬼束忠則や日隅一雄ら民事賠償請求訴訟で支那人凶悪犯遺族の訴訟代理人を務め、平田学巡査を執拗に「加害者」に仕立て上げようと追い詰めた人権派弁護士4人も陣取っていたが、審理の過程で一切の発言権がなかったことから飽くまで「参考人」的な立場で同席していたものと思われる。
裁判の開始にあたり、検察官役となった「指定弁護士」から死亡した支那人凶悪犯・羅成(ら・せい)を中国語の発音に近い「ルオ・チェン」と呼ぶことなどが確認された。通常、例えば北朝鮮の金日成を「きん・にっせい」、金正日を「きん・しょうにち」と日本語読みで読むのが正しい。朝日新聞などのメディアは敢えて朝鮮語や支那語の発音で読み仮名を併記したりするが、裁判所までがこうした支那・朝鮮の「精神侵略」「人口侵略」に加担するほどに汚染され切っている。
審理は指定弁護人(検察官役)が起訴事実を読み上げ、続いて出廷していた平田巡査本人への尋問が行なわれた。
裁判長から職業を問われ、「はい! 警察官です!」と凜として答えた平田巡査の姿勢に被告人としての悲壮さは微塵も感じられず、むしろ警察官としての使命感や誇りが強く感じられた。起訴事実の中で平田巡査は事実に反している部分として、犯人の羅成は逃げ込んだ民家の庭で凶器となった重さ2.8キロの石灯籠を左手に提げていたのではなく、「常に振り上げた状態にあった」ことを指摘。次に自身がホルスターから抜いた拳銃は羅成の身体ではなく、常に「地面に向けていた」と強調。また、羅成は左手で振りかざしていた石灯籠を「両手から、そして右手に持ち替え、一気に自身との間合いを詰めてきた」事実を述べた。
次に被告人側の平野弁護士が意見陳述を行なった。同弁護士は民事裁判から一貫して県側の弁護人を務め、そして今回の刑事裁判においても県側から依頼されていることから相当なやり手なのだろう。理路整然と平田巡査の「無罪」を主張した。
眼前の凶悪犯罪に対して拳銃を構えることは罪に該当せず、それ以前に羅成は平田巡査を押し倒すなど激しく抵抗しており、民家では再三にわたる警告を無視して積極的に犯行におよんでいた事実に言及。羅成が振りかざした石灯籠が当たれば頭蓋骨を損傷する恐れがあり、急所を狙ったわけではない発砲はこれを防ぐための正当防衛であるとして。
続いて平田巡査の「罪」を追及する指定弁護士の陳述では民事裁判の時から目新しいものはなく、羅成は「石灯籠を振り上げることはなかった」だとか、警察官に追われ「極度の恐怖と緊張状態にあった」だとか「(平田巡査に)殴りかかったりすることはなかった」としてひたすら故人の擁護と平田巡査の落ち度をあげつらうことに終始。しかし、次の瞬間にこうした弁明は見事に覆されることに。
事件を目撃した近隣住民の一人として出廷したのは主婦のFさん。
Fさんは普段は勤め人であるが、4年前の事件当日は子供が風邪に罹ったことで看病のため在宅していた。外での騒ぎ声を聞きつけ、最初は酔っ払いか何かと思ったが、自宅2階の窓から様子を覗うと警察官(平田巡査)と男が何やら揉み合っているのが見えた。男が警察官を押し倒して、警察官が右腕の肘から仰向けに倒れ込むのを目撃しているが、こうした状況も平田巡査の証言と見事に符合している。男は駆け出して逃走し、それを立ち上がった平田巡査が追う。
今度は男が片手に持った木の棒を上下に振り回すのが見えた。Fさんの記憶は鮮明で木の棒は「1メートルくらいの長さで太め、竹刀くらい」と証言。男が持つ棒は平田巡査が防御しようとした両手に「当たっていました」と話す。当時の状況として男が振り回した棒の勢いは強そうで「このままでは警察官の人がやられてしまうのでは」とFさんは思ったという。
2人の距離は1〜2メートルくらい。次の瞬間、その距離は3メートルくらいに開き、隣家のガレージの屋根など遮蔽物によって警察官の姿は僅かに腰の部分しか見えなくなっていたが、Fさんの目は平田巡査が拳銃を抜き出そうと右手を右腰に当てた瞬間を捉えていた。この辺りも「間合いをとろうとした」とする平田巡査の証言と一致している。
この間、何を言っているかまでは分からないものの「終始、怒声が続いていた」とFさんが述べるように、平田巡査が凶器を捨てるように警告し続けたことを裏付ける。怒鳴り声は平田巡査が拳銃を抜き出し、拳銃を構えた後も続いていた。その銃口は「(男の)足下に向けられていました」(Fさん)。男の動きは「いったんは静止した」とするFさんは男が自分の胸を指さして「撃てるものなら撃ってみろ」とジェスチャーしながら挑発するシーンを目撃。男は警察官に駆け寄ったが、Fさんはそのスピードは「早かった」と話す。
凶器を捨て、降参する意思があるのなら、そのような行ないにはなるまい。やはり平田巡査が直面した事態というのは自らの身体・生命にも危険がおよぶと察知した急迫不正の事態に違いない。検察側の席、指定弁護士らの後ろに陣取った鬼束ら4人が時折、苦渋の表情を浮かべたり手を頭にやって思い悩むような姿が印象的であった。警察官の拳銃使用が特別公務員暴行陵虐致死罪に問われた極めて異例のケースと言える裁判の初公判、どうなるものかと思われたが、出だしとしては上々だ。
これまで何度となく裁判所はおろか政党や国会議事堂、議員会館など警察官が厳重な警備をする中、抗議行動で果敢な突進を繰り返した西村代表や私たちだが、警察官の拳銃使用が総じて不当に行なわれているものなら何度撃たれたことか分からない。警察官の発砲は特に日本の場合、極めて冷静な現場判断と極めて正しい状況認識に基づいて行なわれていることを改めて示した初公判であったと言える。
日本をチャイナ化することで官民分断の策!
地裁前で演説する有門理事長
凶悪支那人(中国人)に発砲した栃木県警の巡査が「特別公務員暴行陵虐致死罪」に問われ、刑事裁判にかけられているが、栃木県はこれと併せて民事裁判においても死亡した凶悪支那人遺族から5千万円の賠償請求訴訟を起こされていることは周知の通りだ。
その民事裁判で被告となった県側の平田学巡査を徹底して尋問した原告(凶悪支那人の遺族)の訴訟代理人である人権派弁護士・鬼束忠則ら4人が刑事裁判においても指定弁護士(検察官役)側の席に陣取っていたことについて、前述では「参考人」的と記述したが、その後、宇都宮地裁に問い合わせたところ、被害者(と呼ぶには抵抗があり過ぎるが)および遺族が申請さえすれば検察側の席に座ることが出来る制度が存在するようだ。 それを利用して被害者遺族(?)の代理人である鬼束らが検察側に座ったのだという。
人権派…と言えば実に聞こえが良いかも知れないが、早い話がこうした裁判で100対0で警察が正しく、撃たれた犯罪者が悪いケースであってもそれを覆してナンボ、弁護士としての名声が上がる。今回の刑事裁判においてもある事を無い、無いことをあると強弁しては論理のすり替えでそれを法的に認めさせようとする、今日の日本社会は言った者勝ち、訴えた者勝ちで公然と法が歪められる風潮を蔓延させてしまった。
栃木県の上都賀群西方町真名子で発生した凶悪支那人への県警巡査による発砲についても、最初から警察官が危害を加える、あるいは殺意があったかのように印象づけ誘導しようと躍起になっている。しかしながら、被弾して死亡した凶悪支那人・羅成は平田巡査から職務質問を受けた際、自身が外国人研修生として来日しながら岐阜県内の会社から失踪し、不法滞在となっていた素性がバレることを恐れたはずだ。
ゆえに職務質問を受けた前後にソワソワするなど挙動が怪しく、平田巡査に危害を加えてでも逃走を図ろうとしたのだろう。羅成と平田巡査が揉み合う姿は近隣住民が目撃している。この時、羅成は平田巡査が腰に携行していた拳銃を奪おうとホルスターに手をかけており、そのため揉み合いとなったわけだが、羅成側の弁護士は民事・刑事の両方の裁判で「そのような意図はなかった」旨を力説している。
だが、その直後に木の棒で平田巡査を激しく攻撃した羅成の行動、また石灯籠を振りかざして襲いかかり平田巡査に致命傷を負わせてでも逃走を図った羅成の行動から「拳銃を奪おうとした」状況証拠は揃っていると言えよう。
対して平田巡査は追跡と身柄確保の当初から逃げ出そうと焦燥感に駆られている羅成を落ち着かせようとポンポンと肩を叩き、「大丈夫だ」と声をかけるなどして収束を図ろうとした。よくTVドラマや映画などで逮捕時に警察が容疑者には「黙秘権がある」など法的に認められた権利と安全を告げるシーンがあるが、それと同じように平田巡査は羅成に聞かせようとした。
ところが、羅成はその隙を衝いて平田巡査を油断させ、不意の攻撃で2度ほど拳銃を奪おうとしている。もし、平田巡査に最初から発砲するなり危害を加えるつもりがあったとしたら、そうなる以前に拳銃を取り出し、逃げる羅成の背中からでも銃弾を浴びせていただろう。
羅成の母国・支那ではそのような警察官の横暴が日常茶飯事のように起きており、役所に苦情を言いに来ただけの人を警察官が監禁し殴る蹴るで瀕死の重傷を負わせたり死に至らしめたという話は数え切れないと言われる。
結局のところ羅成の遺族や訴訟代理人の人権派弁護士、今回の刑事裁判における検察官役の指定弁護士らは口で断言こそ出来ないが、「日本の警察も中国の警察と同じである」という方向へ持っていきたいのだ。発砲によって死亡した羅成の遺族が訴えを起こしたのも「真相を究明するため」と述べているが、日本の警察は支那の警察と違ってこの事件に関してもあらゆる情報を開示し、それをメディアが報道している。
つまり「ガラス張りの警察行政」やら「優しい警察であれ」とする人権派の主張は支那の警察に対してこそ要求すべきものであり、日本の警察は既に優し過ぎるくらいに優しくなり過ぎて、凶悪な外国人犯罪者にまで優しくなってしまった。
真名子での事件においても、平田巡査は拳銃を取り出してもなお銃口は発砲の際まで地面に向け、その間、何度も何度も大声で凶器を捨てるよう、抵抗をやめるように警告を発し、最後の最後までなるべく実力行使すまいと務めた。羅成の背後に人影が見えたため、安全に配慮して威嚇射撃を断念。逃げる素振りも見せず、遂に羅成が石灯籠を右手に持ち替え、襲いかかろうと一気に間合いを詰めてきたその瞬間、どうにも止むを得ない状況であると判断して発砲を決断し、トリガー(引き金)にかけた指を引いた。
通常、ここまで凶悪犯罪者に凶行を断念させようと、猶予を与える警察はおそらく世界各国見渡しても日本を置いて他にあるまい。それほど優し過ぎる日本の警察を、まるで共産主義独裁国家の秘密警察か何かであるように仕立て上げようとしているのが人権派弁護士らなのである。
このような人権派や偏向マスコミの言う日本の警察は信用ならない、日本の警察はアテにならないとする口車に乗せられるということは、実は日本の官民双方に不信感を植え付け、官民を分断させようとする破壊工作に加担することである。
さらに恐るべきは支那人凶悪犯の遺族に与し、ある事を無い、無いことをあるとする人権派の手法は支那人のメンタリティそのもので、よく昔の日本人が「支那人、朝鮮人は嘘つきだ」と口癖のように学校でも家庭でも説いていたことを思い出してほしい。現在でも「中国人は絶対に自らの過ちを認めない」「息を吐くように嘘をつく」「謝罪しない」と言われる。
司法の場でそのような手法を蔓延させ、あまつさえ勝訴によって司法のお墨付きを与え続ける現在の状況はますます日本人を支那人のメンタリティに染めているのである。その傾向は左翼・人権派と称される層のみならず、保守・右翼と称される層から一般層にまで蔓延して刻々とチャイナ化が進む傾向をここで阻まなければならない。
☆動画のご紹介 10.21 IN宇都宮
10.21 IN宇都宮
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